ウイルスは生物か無生物か?

ウイルスは生物か無生物か?

猫やカブトムシは生物でしょうか?

この問いには誰もがYesと答えるでしょう。

では、石やコンピュータは生物でしょうか?

この問いには誰もがNoと答えるでしょう。

人は無意識下で生物と無生物とを区別することができます。

例えモノも言えず動けない植物であったとしても無生物だとする人はどこにもいません。

生物と無生物との違いを本能的に理解しているのです。

ですが、この区別が難しい物質?生き物?が存在します。

そう、ウイルスです。

自然界を生物界と無生物界に分けることはアリストテレスの分類に端を発しましたが、ウイルスの発見によってこれが揺らいできました。今でもウイルスは生物か無生物かの議論がなされています。

一応主流派としてはウイルスは無生物だとする見方が強いようなのですが、ではどうしてウイルスは無生物だと言えるのか?今回はそこら辺を見ていきましょう。

ちなみに筆者が過去に所属していたウイルス学研究室ではウイルス=無生物であることは満場一致の見解でした。

生物の定義から考える

ウイルスが「無」生物だということは、生物としての特徴を持っていないということでもあります。

ということで、まずは生物を生物たらしめている理由から見ていきましょう。

教科書的に生物を定義していくと、以下の特徴があれば生物だとされるようです。

1.自己代謝ができる

2.自己複製能を持つ

3.外界と内界を分ける膜構造を持つ

私達ヒトで1つずつ理解していきましょう。

まず1の自己代謝に関して。

私達ヒトは毎日「食事」という形で外界から栄養を摂っています。この栄養は体内で形を換え、生体部品の一部としてもしくはエネルギーとして活用されています。

次に2の自己複製能に関して。

私達ヒトの細胞は増殖を繰り返して組織や器官を維持しています。皮膚の細胞が顕著な例で、お風呂で「アカ」として出てくるのは使い終わった細胞達です。細胞は絶えず分解と増殖を繰り返しています。

また、細胞は細胞自身で増殖ができます。細胞内にあるオルガネラと呼ばれるパーツを使って核酸の読み込みやコピー、そして新たな細胞の作製を自身だけで手掛けることができるのです。

最後に外界と内界を分ける膜構造に関して。

私達ヒトの細胞は周りを細胞膜と呼ばれる膜構造で覆っています。細胞は絶えず外界との接触を行って糖やタンパクを取り入れる必要がありますが、反対に自分の内部で作り出した物質を外界へと送り出す必要があります。この運搬量の調整のために細胞膜が存在します。

また、細胞膜表面のレセプターと呼ばれるアンテナを使う事で外部環境を知ることも可能になっています。自己を自己として維持するためには細胞膜の存在が必要不可欠なのです。

このように私達ヒトは生物としての要件を全て満たしています。

これはヒトだけではありません。犬だって、猫だって、ハムスターだって、カブトムシだって、ナメクジだって、クラゲだって持っています。皆同じ土俵の上で生きているのです。

こうしてみると、信じがたいことに読者らの毛嫌いしている上司も同じように生物としての要件を満たしているのです。驚きですよね。

前置きは長くなりましたが、これらの定義とウイルスの特徴とを照らし合わせていきましょう。

自己代謝

ウイルスは「自己」代謝はできません。

詳しくは下記の自己複製能でまとめて書きますが、ウイルスは自身では代謝を行えないので、エネルギーを用いて行うアクションは全て宿主に依存することになります。

自己複製能

ウイルスは「自己」複製能を持っていません。

生物であれば通常持っているリボソームやゴルジ体、ミトコンドリアなど代謝と複製に関わるオルガネラや酵素を自身は持っていないためです。

ウイルスが持つのは核とそれを包むためのカプシドタンパク質だけです。インフルエンザウイルスのようなウイルスはこれに加えてエンベロープと呼ばれる脂質膜によって囲まれていますが、複製に関わるパーツは一切持ち合わせておらず、自分だけではどうやっても増殖することはできないのです。

では、どうやって増殖しているのか?

宿主、つまり感染した細胞のパーツを乗っ取って増殖を行うのです。そして、増殖に用いられるエネルギーも感染した細胞のパーツを使って発生させています。

そのため、ウイルスのDNAもしくはRNAにコードされている遺伝子は宿主に借りることのできない最小限の数しか持っていません。大腸菌でも4000の遺伝子を持っていますが、エイズウイルスではたったの9個しかありません。

核酸はよく「生物の設計図」として例えられることが多いですが、それに倣うように言えばウイルスは他人の工場を乗っ取って、設計図だけは自前のモノを使っているようなものです。

駆動させる機械(生物で言えば酵素)は他人のモノなのですが、作っているのは自社の製品(ウイルス)。この「他人を乗っ取って自身の複製を行う」のはウイルスの大きな特徴の1つだと言えるでしょう。

また、その増殖の仕方も通常の生物とはちょっと趣が異なっています。

生物では分裂の際には2分裂と呼ばれる、ちょうどちぎりパンを捻じりちぎった形で細胞が増えていきますが、ウイルスはそうではありません。

ウイルスは細胞の中で遺伝子とタンパク質が別々に合成され、それが後で組み立てられるのです。ちょうど合体ロボのような感じですね。手と足と頭部が別々にあって、合体して1つになる。

これは通常考えられる生物から考えれば異常なことです。読者達は頭部と手足が寸断されても、事後的にくっつければ生き返りますか?できないでしょう。できないはずです。

それができたらいますぐ自分について見つめなおした方がいいです。

生命は「時間」や「空間」との密接な関係がありますので、“その時”“その場”で特定のアクションが起こり、またそれが途切れることなく続いていくという前提の下、発生します。

ウイルスのように“どこでも”“いつでも”ウェルカムな状態というのは生命とは全く相反する性質です。

このようにウイルスは自己複製能を持ってないことはおろか、生命との本質ともかけ離れています。

膜構造の存在

ウイルスが膜を持っているかどうか?

答えは「持っているものもいるし、持ってないものもいる」になります。

上記でも少し触れましたが、ウイルスの中にはエンベロープと呼ばれる脂質膜を持つものもいます。

これはエンベロープウイルスと呼ばれ、インフルエンザウイルスや天然痘ウイルスが該当します。

反対にエンベロープを持たないウイルスはノンエンベロープウイルスと呼ばれ、A型肝炎ウイルスやポリオウイルスが該当します。

では、単純にウイルスは膜構造を持っていると言えるのか?いえ、ちょっと待ってください。ウイルスの持つ膜は“境界線”としての役割を果たしておらず、生物の持つ膜の本質とはかけ離れているのです。

どういうことか?見ていきましょう。

成熟したエンベロープウイルスは膜構造を持っていますが、なんとウイルスが誕生した直後はどのウイルスも膜構造を持っていないことが知られています。

ウイルスの膜構造は宿主細胞を破壊したと同時に盗み出したものであり、膜構造の設計図はウイルスの遺伝子の中にはコードされていません。

どのウイルスも誕生した直後はカプシドに覆われた核酸を持っただけの物質なのです。

これがどういうことかと言うと、ウイルスは外界と内界との区別のために膜構造を持っているわけではないということです。

もしもウイルスが“境界線”として膜構造を持っているなら宿主内でも外界と内界とを区別するために膜構造を持っている必要があります。でないと、自己の維持なんてできません。

しかし、事実としては誕生した直後のウイルスは膜構造を持っていなくても生存?が可能になっています。

では、なぜウイルスは膜構造を持つのか?

通常の生物では外界とのやりとりや自己を自己たらしめるために膜構造を活用していますが、ウイルスは宿主の免疫から逃れるために膜構造を活用しているためです。

なので、単に「ウイルスにも膜構造がある」と言っても、その本質は生物とウイルスの間で全く別物なのです。

この理由によって、膜構造があるウイルスも生物ではないと考えることができます。

上記3つ

自己代謝

自己複製能

膜構造の有無

の内、膜構造の有無に関しては解釈次第ですが残りの2つに関しては明らかに持っていませんので、ウイルスは無生物だとされているのです。

ということで、今回はウイルスは生物か無生物かについて書いていきましたが、どうでしたでしょうか?

読者らの皆さん1人1人の意見があると思いますが、この記事が何らかの参考になると願ってしめたいと思います。

ではまた!

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